2005年6月10日金曜日

ドラえもん=漫才説

先日ふらっと入った洗足池の古本屋で、信じられないことにてんとう虫コミックスの「新オバQ」の通常状態のものが300円で売られていた。当然買ったんだけど(全巻持ってるけどできればカバー欠けの4巻だったらもっとうれしかった)これを機会に久しぶりに読んでみて、よく指摘されるように「オバQ」の話の構造って落語っぽいなぁと改めて思った。

長屋の主人(=お兄さん、キザ君、ドロンパ、ヒョーロクさんなどなど)がある話をして、それをちょっとおつむの弱いはっつぁん(=オバQ)が模倣しようとするんだけど、失敗する、ってな。熊さんは正ちゃんやOちゃん(=バケラッタ)だ。

それでいうと(かなり強引だけど)、「ドラえもん」ってドラえもんとのび太の漫才っぽい構造だよね。のび太がドラにネタふって、ドラが道具出すことでツッコミ。で、その道具でのび太がまたボケると。実はジャイアン・スネ夫・しずかちゃんものび太に対するツッコミの役。
ドラえもんがなぜ白けなくてはならないか(@す一さん)がちょっと分かるような?


ところで、僕は舞台の笑いでいうとコント・一発ネタよりも漫才が好きなことに最近気づいたんだけど、その面白さと自分が好きなギャグマンガのそれに共通点があるような気がした。ギャグマンガといっても、コメディマンガではなくややナンセンス系のもの(コメディも好きなんだけど)。
とりみきの「遠くへ行きたい」は言わずもがなだけど、おおひなたごうの「おやつ」(第1巻「ダンボール」というエピソードがすごかった)もそれがあった。言葉や観念で空間が変わったりねじられたりする感覚。落語だと子供の頃「あたま山」を読んで、そのねじり感にめちゃくちゃ興奮した。
最近のお笑いでいうと、タカアンドトシという漫才コンビがダントツで好きなんだけど、彼らの漫才はボケた時に「遠く」へ連れて行かれる瞬間がある。そして、また元の現実に戻るところもすごくスムーズ。ボケて遠くへ行き、ツッコんで戻る。それを何度も繰り返すうちに、その場が徐々にズレはじめている。そして最後にいつのまにか足下の地面がなくなってることにハッと気づく……。
それが快感なんだよなぁ。

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