2009年10月27日火曜日

Brooklyn Parlor訪問記

こないだ、ほぼ卒業以来(=13年ぶり?)で学生時代の友人たちと会ったけど、自分の仕事は自宅と会社の往復でまた拘束時間が長くて、友人たちと比べるとかなりヒキコモってるんだなぁ……と改めて気づかされた。

しかも子供ができてから、自分の時間を確保するため買い物は平日の会社の行き帰りやネットですませるようになって休日に1人でぶらり出かけることなどほとんどなくなった。
というより、行ってみたいところがあまりない、というか。

そんな中、久しぶりに興味をもった場所が。

新宿の、文句を言いながらもかなり利用しているシネコン・バルト9がある丸井アネックス地下に、ジャズクラブ「ブルーノート」を経営するブルーノートジャパンが始めたカフェ・バー・本屋・ライヴが一体となった

Brooklyn Parlor(ブルックリン・パーラー )

という店ができたそうな。

カフェやバーなのに本があるというのが面白そうだったので、偵察がてらランチ時間に入ってみた。

本のセレクトはBACHの幅允孝という方が手がけているそうで、意外性はないけど分かってるセレクトで、久々にこの手の本棚を見てワクワクした。
本は売り物であるけど、その場で読むこともできてよい。通好みのマンガもいくつかおいてある。

CDのセレクトも面白いけど、僕の中では試聴できない時点で意味がないので、スルー。

そういうば僕は本屋という認識だったヴィレッジヴァンガードだけど、ここ何年か本のセレクトが弱くて面白い本に出会えなくなって足を運ばなくなったなぁと思ってたらこんな記事が。
http://d.hatena.ne.jp/chakichaki/20091012
「ヴィレッジヴァンガードの書籍の売上構成比が、13.5%にまで低下してしまった」
「まず、こうなってしまった原因ですが、最近当社に入社してくる人材の変化があります。かつて、ヴィレッジヴァンガードには「本が好きな人」が入社してきていました。今、当社に入社してくる人は「雑貨が好きな人」になっているのです。2年前から対策中ですが、こういう人に本を重視しろといってもなかなか難しいのが現状です。継続して取り組んでいきます」
なるほどねぇ、そりゃ棚がつまらないわ。これ、セレクト系ブックストアとしては致命的だけど、どうせ本は売れないし、今後はますます雑貨屋になっていくんだろうなぁ。

閑話休題。

空間的は思ったよりも広くってゆったりしている。

分煙というけどタバコの煙が漂ってきて気持ち悪かった。本を扱うんだし、禁煙でいいのになぁ。夜はバーだからそれもつらいか。でもタバコの匂いのついた本は買わんよ(あ、でもあれは閲覧用と思えば店にとっては別にいいのか?)。

食事は1000円クラスのハンバーガーがメインで、たまにこういうのを食べるんだけど、マクドナルドのハンバーガーと全然違うね。ただこういう脂っこい肉が苦手なのでうまいけどそんなに好きじゃない。

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同じビルの7Fに「模型ファクトリー」なる模型店もオープンしたとのことでそちらにも足を運ぶ。
ヨドバシと違ってガンプラばかりではなくスケールモデルなども扱っていて、なかなかよい。場所柄か模型店なのにややコジャレてるけど、商品が商品なのでやや無理がある気がする(笑)。でも場所に迎合せず、キット、ツール、塗料などもきちんと揃えられていてよい。

関連書籍も多いなぁと思ったら、ブックセレクトはさきほどのBACHの幅允孝氏とのことでなるほど。たぶん客の大半は興味を示さなさそうだけども。

ユニークなのが、最近タミヤなんかもやってるけど、レンタル塗装ブースなどがあること。値段もけっこうリーズナブル。

う~ん、久しぶりにこういうおしゃれ空間とか新しい店に足を運んで、なんか新鮮だった!(←いかに普段引きこもってるか分かる)

2009年10月25日日曜日

読んだつもりになってた藤子本

あー、藤子F不二雄全集、パーマンだけが読めないままたまっていく……。後半のパー子編以外はホントにつまらんなぁ、このマンガ。

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さてさて、こないだ「トキワ荘青春日記」を読んだらまたもや藤子~トキワ荘関連が読みたくなってきて、ふと本棚を見るとこの本が。

二人で少年漫画ばかり描いてきた―戦後児童漫画私史 (1980年) (文春文庫)
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刊行当時親父が買った本で、マンガの1カットなどが結構載っていたため子どもの頃パラパラと見ていた。
しかしよくよく考えてみると、この本きちんと読んだことがない気がする。

と思って最初から読み始めると、やっぱり読んだ記憶がない。ラッキー(!?)。

藤子不二雄の関連書籍はたいていA先生が書いているんだけど、この本もそう。各章の序文だけF先生が登場する。またあとがきによると、副題に「戦後児童漫画私史」とあるように、「僕たちはこの歳になっても、まだ少年漫画を描いている」というタイトルでTBSの「調査情報」に一年五ヶ月連載したもので、藤子不二雄の半生伝を通してA先生が少年漫画の移り変わりやそもそもなんぞや?を語る内容になっている。

この本が一番面白いのは、オリジナルの単行本が出たのが昭和52年で、文庫になったのが昭和54年。
その間に何があったかというと、「ドラえもん」の大ブレイク(というか、文庫の表紙にデカデカとドラえもんが描かれているように、この文庫化自体「ドラえもん」のブレイクありきだったんじゃないかと思う)。

この本はその「ドラえもん」大ブレイク直前までの藤子不二雄に関して書かれているのだ。

だからこの時点での彼らのヒット作はほぼ「オバケのQ太郎」のみという認識で、ベテランでヒット作がある一児童マンガ家であるというスタンスで執筆されている。

最後の方では青年マンガ誌ブームにのって少年漫画をおろそかにしてた、これからは少年漫画に回帰したいという志が書かれているが、有言実行、その数年後に「ドラえもん」で大ブレイクを果たして国民的作家にまで登りつめる。
文庫化のあとがきではその驚きと喜びが書かれている。

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その他、読みどころピックアップ。

「まんが道」と違って、二人は別々の中学に通っていた。が、校舎が隣りだったので放課後はいつも一緒だったとか。

二人とも漫画投稿をしていたが、やはり藤本(F先生)の入選率の方が断然よくて我孫子(A先生)はかなりジェラシーを感じていた。が、合作形式をとって一心同体になったらまったく気にならなくなったそうな。
この辺はA先生らしい。

二人が宝塚の手塚先生宅に行った際に「来るべき世界」のアウトテイクを見せられて圧倒されるエピソードは「まんが道」にもあったけど、マンガと違い自分たちの原稿を見せた後で、また泊まっていけばという手塚先生をふりきって駅まで行ったけど終電は終わっていて駅で一夜を明かしたらしい。

彼らが漫画家になった頃は月刊漫画誌がブームで(それまでは絵物語などの方が人気があった)、付録に長編漫画をつけるようになったりと漫画家が全体的に不足していた時期だったので、すぐに仕事があった。

二人ともディズニーシンパだったが、「不思議の国のアリス」で離れてしまったとか。それぐらい「アリス」はそれまでのディズニーとテイストが違っていたというのが生々しく分かって面白いエピソード。

「オバケのQ太郎」の直前、とくに同じギャグ路線だった赤塚不二夫が「おそ松くん」であれよあれよと人気漫画家になり、自分たちもヒット作がほしいなぁ、と思っていたところであった。

ところが「オバケのQ太郎」自体はスタジオゼロの資金を集めるために「雑誌部」として描いた作品であったため、当初はそれほど思い入れがなかったという。テレビ化もそれまで「シスコン王子」やスタジオゼロの仕事で難しさを知っていたため乗り気ではなく、大ブームになるとは予想してなかったそうな。
なお、それ以後しばらくテレビありきで作品作りが行われ、昭和42年「パーマン」昭和43年「怪物くん」昭和44年「ウメ星デンカ」まで続く。「ウメ星デンカ」の後が「巨人の星」というから面白い。

この昭和40年代の藤子ブーム、というのは昭和48年生まれの僕にとっては全くよく分からず、時々年配の人で藤子不二雄の代表作=オバケのQ太郎、という人がいるのはこの影響なんだろうなぁ。
もし「ドラえもん」がなかったら藤子不二雄は昔ヒットがあったベテラン児童漫画家という位置だったんだろう。

でも「ドラえもん」を生み出すポテンシャルはずっと持っていたし、「コロコロコミック」が創刊されて彼らの過去作品が掲載されたときも全然古くさく感じなかったのはやはり二人の児童漫画家としてのポリシーと実力だったんだろう。

2009年10月18日日曜日

僕の頭の中のまな板

なにかを考える際に、人によって考えが出る状況というのは違うと思う。

友人に聞くと外をブラブラしながら考える、というけど、自分はどうしても他のことができないような状況である仕事場に自分を追い込んで、ウンウン唸って考えることが多い。

それでアイディアが出てくれればしめたものだけど、必ずしもそううまくいかない。
そういう時は保留にして日常生活の中で考えることが多いけど、先にウンウン唸っておくことで考える材料が頭の中にあるまな板にのっている状態で、答えが出やすくなる。

これなしで、なんとなく「あれ、考えなくちゃなー」と思っているだけではほとんどアイディアが出ることはない。

自分の場合、アイディア出しには下ごしらえが必要なんだなぁ……。

2009年10月17日土曜日

さきかあとか

仕事が忙しくなってくると、休日に仕事に出て遅れを取り戻すことになるんだけども、その時に面白いのが、人によって土曜日に出てくるのか日曜日に出てくるのかが違うこと。

もちろん、土曜日はプライベートな用事があって、とか個人的な事情もあるんだろうけど、先にイヤなことをやってあとで遊ぶタイプか、先に好きなことをやってイヤなことをやるか、がそれぞれ違うからなんじゃないだろうか。

僕は圧倒的に先にイヤなことを済ませてから遊びたいタイプなので、土曜日のしかも平日よりも早めに来て目標の仕事を終えたらさっさと帰る。

これは頭の切り替えがうまくないという性格からも来ている。
あとでイヤなことが待ってる、と思うと目先の楽しいことがかなり薄まってしまうのだ。
これが切り替えのうまい人だと「それはそれ、これはこれ」と楽しいことに集中できるんじゃなかろうか。

2009年10月15日木曜日

まさに青春がここにあるなぁ。

今のようなモノを作る仕事についたのは、多分にトキワ荘とか「まんが道」の影響があるのは間違いなく、今でも関連書籍を読んで「初心忘るべからず」と肝に銘ずることがままある。

そんな関連書籍の中でも存在は知っているものの絶版で手に入らなかった藤子不二雄A先生の「トキワ荘青春日記」(1981年)が、1996年に「愛しりそめし頃に」の連載にあわせてリニューアル版が出ていたことを最近知った。
トキワ荘青春日記―いつも隣に仲間がいた…
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このリニューアル版もまた絶版になってしまっており、うむむと思っていたら、なんと隣町の図書館にあったので借りて読んでみた。

いやぁ、面白い!

タイトル通り、ちょうどトキワ荘にいた頃の日記なんだけど、例の里帰りして原稿を落としまくったエピソードが日記になっているのがリアル過ぎ。
あれは後進に〆切りの恐怖を教え込ませたという意味で大変貴重な教訓だと思う(笑)。

でもそんなA先生が「今日こそはヤルゾ!」→「寝たり遊んだりしてしまう」ということをずっと繰り返しているのがなんか安心する。あのA先生でもそうだったんだ……というような。ここでガチに仕事をされてたりすると、読んでる方が落ち込んじゃうもんなぁ。

あと、「まんが道」では描かれてないけど、実はトキワ荘時代に両藤子先生の母親が上京して一緒に住んでいた描写とか、トキワ荘の向かいの「兎荘」というアパートを仕事場として借りてるエピソードとか、「まんが道」のフィクション部分も分かって、そういう資料的な意味でも楽しめる。

2009年10月13日火曜日

ペンにはこだわるよ。

ここ半年以上、筆記具として油性の三菱「JETSTREAM」」を使ってきた

書き味はなめらかで文句はないけど、油性だから服についたりすると取れにくかったり、やっぱり油性インク独特の発色が好きじゃなかったり、と不満も出はじめた。

僕の主筆記具の歴史は、

シャープペンシル

ゲルインクボールペン

PROCKEY細字丸芯+極細(水性サインペン)

Jetstream(油性ボールペン)

であったんだけど、よく使うアイディア出し用には水性サインペンの書き心地が好きで、PROCKEY細字はいいんだけども、2つのインクのどちらかが先になくなること・使っていくうちにロゴの部分が剥がれてきて手についてしまうのが欠点。おそらく通常の筆記具として想定されてないような気がする。

サインペンをいろいろ探して、Pentel superプチという商品を買ってみたけど、なかなかよい。いわゆる定番のPentelサインペンだとちょっと太すぎる。
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手帳用にはノック式+クリップ付き、速乾性という条件があるんだけど、Pentelから最近出たENERGEL EURO(ゲルインク)のノックタイプのものがこの条件を満たしていた。ボール径は0.7mmがちょうどよい。

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2009年10月11日日曜日

カントク、といえばこの人だった

今、二十歳ぐらいの子にとって、「スピルバーグ」という言葉はどのように感じるのだろう?

僕の子供の頃「スピルバーグ」といえば、独特な高揚感を与えてくれる言葉だった。
たとえば今でいうと「宮崎駿」という言葉に近い、といえば分かってもらえるだろうか。

子供だったので「ジョーズ」ではなく、「E.T.」でガツンとやられたんだけど、その後から80年代においては、彼自身の監督作品はもちろん、製作総指揮の冠がついたプロデュース映画もブランドだった。

E.T. The Extra-Terrestrial 20周年アニバーサリー特別版 [DVD]
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製作総指揮の作品には「グレムリン」「グーニーズ」「インナー・スペース」といったSF・冒険もの、子供心にやや格が落ちた「ヤング・シャーロック ピラミッドの謎」「世にも不思議なアメージング・ストーリー」「ニューヨーク東8番街の奇跡」「マネー・ピット」、そしてなんといっても「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズなんかがある。。
映画にそれほどくわしくない人は今でもこれらのいくつかはスピルバーグ自身が監督したと思っているんじゃないかな。

自分にとってブランドだったスピルバーグだけど、ある時期からパッタリと興味がなくなった。

劇場で観たのは「ジュラシックパーク」が最後だけど、最後ヘリコプターで逃げるシーンで「ここでプテラノドンが襲ってくるに違いない!」と思ってたのにそのままエンドロールになって、「あれ、なんかあんまり面白くなかったかも……」と思ったのを覚えている。
思えばここが僕の中で1つの区切りだったんだなぁ。

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このところNHK-BS2で彼の特集をやっていて、10/7には「映像の魔術師 スピルバーグ自作を語る」というインタビューを放映していたけど、これがかなり面白かった。

話題にあがった作品は「刑事コロンボ/構想の死角」「激突!」「続・激突! カージャック」「ジョーズ」「未知との遭遇」「1941」「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」「E.T.」「カラー・パープル」 「太陽の帝国」「ジュラシック・パーク」「シンドラーのリスト」「アミスタッド」「プライベート・ライアン」「A.I.」「マイノリティ・リポート」「ターミナル」「宇宙戦争」「ミュンヘン」。

彼には若い頃から映画をコントロールするイメージが明確にあって、早いうちにそのコントロールが完全にできる権利を手中に収めようとしていたが、「ジョーズ」によりそれに成功する。
でも「1941」で大失敗して、非常にいろいろなことを学んだという。
「ジュラシックパーク」に関しては、恐竜がただ出てくるだけではダメで、車とか室内とか普段僕らが見てるものと一緒に恐竜が出てくるから面白いのだ、と語っていて、なるほどなぁと思った。

インタビューを通して思ったのは、この人は根っからの演出家なんだなぁ、ということ。映像を使って何かを伝える、ということに関してまったく困難を感じさせない。
たとえば、石ノ森章太郎のマンガを読んで「この人は絵を描くことに関しては全く苦労がないんだろうなぁ」という感想を抱いてしまうのに似ている。
2人とも仕事が早くて、でもあまり物語の筋を作るのが得意じゃない、というところも似てる気がする。

またオモシロエピソードとしては、「スターウォーズ」を撮った直後のルーカスが「未知との遭遇」を撮影しているスピルバーグのもとへ遊びに来て、自分の「スターウォーズ」は子供向けになってがっかりだ、君の「未知との遭遇」僕が撮りたかったような作品だ、素晴らしい。もしよかったらお互いのこれらの作品の印税2.5%を交換しないか?と持ちかけたという。
その話にのったスピルバーグはいまだに儲けが入ってくるそうな。
すごいなぁ。

一番印象的だったのは、話しているスピルバーグが非常に楽しそうであること。いろいろ吹っ切れた人が持てる優しさを感じた。

2009年10月8日木曜日

ぴあ帝国の崩壊

最近はチケットを取る際に、「e+」というネットサービスを利用することが多いけど、「フットルース」はそこでは売り切れだったので、チケットぴあをのぞいてみた。

びっくりしたのは、いつから雑誌の「ぴあ」ってこんなに情報が載ってない雑誌になってたんだ!? これから売るチケットと今週やる公演とかしか載ってない。

しかも10時前に窓口に行ったら端末が10時からで、それまでに何人もの人が予約してると言われてなんだそりゃ、と近くのローソンの端末Loppiで探したら、あっさり取れた。

ぴあ、ダメじゃん。
人件費もかかっててあれで大丈夫か?先あるのか??

足どり軽く

以前から、既存の「歌」をベース・原作にした映画は、歌ほどヒットしないなぁと思っていた。
たとえば「なごり雪」「涙そうそう」「未来予想図Ⅱ」とかとか。
映像や脚本が、歌を聴いた人のイメージの広がりに勝ててないんだろうなぁ。

あと、主題歌やサントラが有名な映画はえてしてつまらない、とか。とくに70~80年代。

主題歌だと、「ミスター・アーサー」(主題歌「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」)が代表格。
サントラだと「サタデーナイトフィーバー」「フラッシュダンス」などなど(異論あるかもだけど)。これらはサントラがオムニバスアルバム的に作られてるからしかたない。

僕の中で映画は大して好きじゃないけど通しでよく聞くサントラがあって、恥ずかしながら「フラッシュダンス」「トップガン」、そして「フットルース」。
世代を感じますなぁ。

余談だけど、「フラッシュダンス」「トップガン」「ビバリーヒルズコップ」はドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーのプロデューサーコンビによる作品だけど、「トップガン」は露骨に「フットルース」をもらってきてるよなぁ。だって主題歌をケニー・ロギンスに歌わせて、「フットルース」でデュエット「パラダイス」を歌っていたマイク・レノのバンドLOVERBOYにバラードを歌わせる、とか。僕は「フットルース」と「トップガン」ってスタッフがかぶってるのかと思ってたぐらい。

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「フットルース」も映画自体はかなり前に一度見て「うわ、つまんねー」と思ったっきりで、再度見直すこともなかった。

このところ20~30年前の映画がブロードウェイミュージカルになってヒット、という流れがあって、「フットルース」もそのひとつらしい。

日本語版とはいえ、舞台なら楽しめそう。ちょうど11月に東京公演があるので、チケットを購入した。

今から楽しみ!

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ところで「ヘアスプレー」、「サタデー・ナイト・フィーバー」、「グリース」、「フル・モンティ」なんかも映画→ミュージカルという流れだけど、「ヘアスプレー」みたいにそれが再び映画になることもあるのも面白い。

もちろん舞台→映画にしたものも多くて、「ドリームガールズ」なんかもそうなんですね。

あと、ABBAの「マンマ・ミーア!」とかクイーンの「WE WILL ROCK YOU」、プレスリーの「ALL SHOOK UP」なんかのポピュラー系の特定アーティストの曲で構成したミュージカルも興味あり。マイケル・ジャクソンの曲で作ったミュージカルなんて確実にヒットしそうだしなぁ。

2009年10月5日月曜日

「第5回軽便鉄道模型祭」なるものに行く。

自分がどんな趣味か、というのは意外と自分でも分からなくて、好みのグラビアアイドルを並べたら「あ、グラマーな人が好きなんだ、自分は」と気づいたり。

このたび、偶然「軽便鉄道模型祭」(公式ブログ)などという催し物があると知って、うお、なんか興味あると思って詳細を見たら、会場は「目黒さつき会館」。
……なんか聞いたことあるなと思ったら、自宅と同じ丁目にある建物だった!

知ったのが開催1週間前だったのが幸い、これは行くしかないと出かける。

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「軽便鉄道」という言葉を知ったのは作家の森博嗣氏の鉄道関連ブログや書籍だと思う。どうもこの人の好きな鉄道車輌が自分も好きで、気にはなっていた。

その他、

・子供の頃住んでいた富山県富山市には市内電車が走っていて自分の心象風景になっている
・箱根登山鉄道、江ノ電、銚子電鉄が無意識に好き
・森林鉄道とか鉱山鉄道、トロッコがなぜか好き
・凸電が大好き
・ディズニーランドの鉄道が好き
・夏に行った軽井沢で偶然「草軽鉄道」を知って、書籍まで買い込んだ

とかとか、鉄道の中でもSLと小さい鉄道が無性にツボ。

wikipediaによると

軽便鉄道(けいべんてつどう)とは、その国・地域の標準的な鉄道の規格よりも低い水準の規格で建設された鉄道を指す用語である。


とのことだけど、これってイセッタとかメッサーシュミットとか僕が好きなバブルカーと非常に似ているなぁ。
けなげだけどイッチョマエな感じがいいのかも。

そんな自分だったので、そんな鉄道の模型の祭り、が楽しくないわけがない。
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案の定、かわいい車輌と素敵なレイアウトがてんこ盛りで、娘2人も連れてた(こういうときに限って奥様が単独外出中)にもかかわらず何度かループして見学してしまった。
いやぁ、こんな素敵な世界があったとはなぁ!2007年の第3回から家の近くのこの会場でやってたわけだけど全然知らなかった。年末に引っ越しちゃうから、来年は近所ではなくなるけど足を運びたいなぁ。

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会場にはファンである模型作家の諸星昭弘氏も作品を展示されていて、いやぁ、やっぱり氏の作品は、(僕にとって)1つ抜きんでて素晴らしい。ホントにずっと眺めてしまった。

鉄道模型インテリア―「リビングルーム」にフィットする、ちょっとお洒落な鉄道模型提案 (NEKO MOOK 1357)
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かんたん!30日でつくる Nゲージ鉄道模型ミニレイアウト
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あと、The Critter's Clubというところが、「杉山模型」という個人メーカー?(本人もいらしたけど)の特集をやっててそれがどれも素晴らしかった。センスがツボすぎ。

それにしても、鉄道模型の世界は個人が作ったようなキットやハンドメイド完成品が多いのもあって、値段がプラスチックモデルと全然違いますねぇ。自分は今はプラモデルをコツコツ作ってるけど、いつかは軽便鉄道の模型を楽しんでみたいなぁ……。