2007年2月17日土曜日

雑誌から新書へ?

このところ、ホントに雑誌がつまらない。

2年ほど前までは、つまらないと言いながらたまには特集で買ったりすることもあったけど、いまや本屋の雑誌コーナーに立ち寄っても手に取る気にすらならない。

どこかのwebで書かれていた「今の新書がかつての雑誌的な役割になってる」って記事にはなるほど!と思った。確かに今、僕が本屋で一番わくわくするのは新書コーナーだからだ。700~800円程度でわりとキャッチーなワンテーマ、通勤中に読んでも2、3日で読み終えられるボリューム。
大きく違うのは雑誌と違ってビジュアルがほとんどないこと。でもその欲望はwebブラウジングで満たされているんだよなぁ。
逆にwebではしっかりした内容のある程度長いテキストってのは読めないというか読みにくいから、何かをさっくりと知りたいときには新書が重宝するという相互補完になっている。

かつての雑誌黄金期を考察しながら、それらの輝きはなんだったのかを探るのがこの本。
『季刊 本とコンピュータ』での連載なので、紙メディア礼賛にはなっていないのでご安心を。

雑誌のカタチ―編集者とデザイナーがつくった夢
山崎 浩一
4875023987


POPEYE、少年マガジン、ぴあ、週刊文春、ワンダーランド、婦人公論、小学館の学年誌
、クイック・ジャパンをテーマに、その雑誌の成り立ちと誌面レイアウトを中心に展開される。
雑誌の編集に携わっていたこともある著者だが、ノスタルジィに陥ることを回避しながら、それらのなにが魅力的だったかを、決して結論づけるわけではなく解いていく。

ただ、1つ1つの雑誌に関する記事がやや物足りないかなぁとも思った。レイアウトサンプルも白黒で載せられても……ということを考えると、新書で読みたかったかも。

「アンアン」1970
赤木 洋一
4582853587


マガジンハウスの社員だった著者の、「平凡パンチ1964」に続く第二弾。
とはいっても女性誌ということもあり、著者自身はその紙面作りには直接的な関わりは薄い。どちらかというと、フランス語ができることから、ELLEとの提携にパリへ出向いたり、堀内誠一がスカウトしてきたモデルの女の子「ベロニック・パスキエ(ベロちゃん)」を無理矢理自宅にホームステイさせられることになったり、といったバックアップ的な部分を担う。

意外だったのは、アンアンという雑誌が、創刊からの堀内誠一が中心となって誌面作りをしていた時代には、評判こそ高かったもののあまり売れなかったという事実。
その後、1971年に集英社から競合誌「ノンノ」が創刊され、この手の「大型グラビア雑誌」が注目され、1973年に甘糟章氏が編集長になった頃からようやく平凡出版(現・マガジンハウス)の中心的存在になっていったそうな。

創刊当時の芝崎文編集長は売り上げもあがらずいろいろと苦労も多かったようで、早々に病気でリタイアしてしまう(ちなみにその時期、木滑良久がタイアップ広告の編集長だったそうな)。芝崎文氏の病欠後は編集長不在で、なんと清水達夫自ら総編集長となる。ただし、実務はほとんどなく、実質的には編集長が不在だったそうで、それが逆に雑誌にとってはよい効果をあげたらしい。

雑誌の内容に関しては、P188の「ガイド&ショッピング」、P212の「熊猫周報」、「香港再現」など少しではあるが、どれも裏話とともに誌面の楽しさが伝わってくる。


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