2007年2月11日日曜日

1997年問題

2007年をむかえて何に一番驚いたかというと、1997年がもう10年前であるということだ。
当たり前といえば当たり前なんだけど、当時は気づいていなかったものの後から振り返ると1997年という年は自分にとっては大きな一年だったことに気づく。

といっても、人生の転機とかそういうのではなく、あの年をピークにして「何かが変わるかも」という風を感じたということ。
その風に乗りたい、と僕がwebページの作成を始めたのがそのちょっと後の1998年8月だった。

じゃあ、具体的に何があったのか。

たとえば1997年前後に発売されて僕が手に入れたCDはこんな感じだ。

1996.6.21 Pizzicato Five/(mini album) 宇宙組曲
1997.2.11 Sweet Robots Against The Machine
1997.5.25 Tei Towa/Sound Museum
1997.6.21 Pizzicato Five/HAPPY END OF THE WORLD
1997.10.10 Fantastic Plastic Machine/1st
1998.3.31 砂原良徳/TOKYO UNDERGROUND AIRPORT
1998.5.21 砂原良徳/TAKEOFF AND LANDING
1998.9.10 Fantastic Plastic Machine/2nd
1998.11.11 砂原良徳/The Sound of '70s

たとえばサバービア/アプレミディの橋本徹が、タワーレコードのフリーマガジン「bounce」の編集長を務めたのは96年4月から99年4月までだ。
僕は1999年7月に自分のwebにて「bounce」について「このところ急につまんなくなったと思ったら編集長がサバービアの橋本徹氏から他の人に変わってたんですね。」と書いている。実はその時期の「bounce」を、他のどんな雑誌よりも心待ちにして読んで、しかも初期の自分のwebはかなり影響を受けていた。
かなり後になって彼が編集長だったことを知って、あぁなるほどと「繋がった」ことをすごく覚えている。

その橋本徹は、最近のインタビューでこんなことを言っている。

「逆にこの5年ぐらいは、自分のやりたいことは、時代や街が求めていることではないということに対して自覚的だし、それに比べると90年代は自分にとって追い風が吹いていたというか、自分の世界観を共有してもらえるような雰囲気や空気感が、街全体というか時代とシンクロしていた気がしますけどね」

��STUDIO VOICE vol.372 2006/12「『90年代カルチャー』完全マニュアル」 P66)


わかる、その「追い風」「雰囲気」「空気感」!僕もシンクロしてました!!

90年代の後半、とくに1997年をピークとして何があったかというと、いわゆる「渋谷系」と呼ばれるカルチャーが、決してそのままの意匠ではなく温度や匂いといったまさに風となって街を駆け抜けていたんだと、僕は今でも思っている。

ただ、その後は2000年を境として急激にヒップホップ寄りの文化や、わりとやんちゃな感じがよしとされる雰囲気に変わってきて、「渋谷系」というとテレビなんかでは「チーマーの系譜」みたいなとられ方をすることすらあって、う~ん、と思っていた。

でももう10年も経つんだもんなぁ。しょうがないといえばしょうがない。

そして、まさに今日、2/11で


SWEET ROBOTS AGAINST THE MACHINE(Produced by Towa Tei)


僕が今でも一番好きなこのCDが発売されてから10年経つわけだ。

「bounce」1997年1,2月合併号の、FPM田中知之による、このアルバムに関するテイ・トウワのインタビューと特集がムチャクチャよかったんだよなぁ。丸10年シビれたままです。

余談だけど、「SWEET ROBOTS~」のCDを購入したのは、なぜかあまり行くことがない池袋WAVEだった。あの頃のWAVEはまだまだいい品揃えでした(遠い目)。
当時の日記を読み返してみると、購入したのは2/7でその日は妹が受験で上京してきてその迎えに池袋へ行ったようだった。ちなみに1/31はPSソフト「ファイナルファンタジーVII」が発売されて、それをプレイしていることも書いてあった(遠すぎる目)。

やっぱり10年は長い。

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