2005年7月13日水曜日

「ロッキー」感想

ロッキー 〈 特別編 〉
シルベスター・スタローン ジョン・G・アビルドセン バート・ヤング タリア・シャイア
B000185DAS


前からずっと見直したいと思っていたけど、沢木耕太郎のエッセイ(『シンデレラ・ボーイ』「バーボン・ストリート」所収)を読んでとても見たくなり、やっと借りてきた。

僕にとってDVDって、昔テレビでご飯を食べながら適当に、吹替はいいとしてカットありのバージョンで見た映画を、オリジナルの音声・キレイな画質で見直すいいきっかけになっている。
この「ロッキー」もそうで、今回見直して典型的な「見た気になっていたけど、まともに見たことがない映画」だったことに気づいた。
というのも、この映画ってわりと半ズボンイズムあふれるというか、そういう人が好む映画だと思いこんでいて、生意気盛りの頃にはバカにしてた。んで、ちょっと大人になるともっとひどくて完全に存在を忘れていた(笑)。
だけど今こうして見直してみると、こりゃ大人の映画だなぁ。
だって前半1時間、ロッキーというしがない男の不器用さと優しさが延々と綴られるのだ。
そして、エイドリアンへの想い……って子供は耐えられたのか、当時?いや退屈だったという意味じゃなくて、ここの描写が丁寧でよかったんだけど全然半ズボンイズムじゃねーじゃん、という。
でもこれが可能なのって冒頭にボクシングのシーンがあるからだよなぁ。「Mr.インレクディブル」もそうなんだけど、冒頭に映画を見に来た人が期待する映像を入れておくと、1時間ぐらいは観客が期待していない、作り手が描きたい描写が続いても耐えられるんだと思う。「Mr.インレクディブル」DVDに収録されている、ボツになった冒頭シークエンスは今いかにインレクディブルがダメになってるかの生活描写になってて、確かにそれはボツだよなぁと思った。
さて、改めて見てみるまでこの映画は「スタローンが一気に書き上げたシナリオを持ち込んで、主演して一躍スターに」ってな部分を意識していたせいか、すごく優秀な脚本で魅せるのかと思ったら、そうではなくて、意外に絵作りと音楽で魅せる映画だった。フィラデルフィアのやや倦怠ムードの中、ロッキーが輝こうとする絵、ってのは全編を通してとても魅力的だった。あの有名なテーマ音楽はもちろんとして、さりげなくかかっている劇伴もとてもいい。
逆に脚本的にはうーん、という感じ。
確かに今見るには、このスト−リーが一つのスタンダードになってるせいもあり、新鮮にはとても感じられないという不利な点はあると思う。
だけどどうしてもノレないところがあって、それはアポロがなぜロッキーを指名したのか、という部分。ここ、必然性とリアリティがなさ過ぎると思う。さすがに世界チャンピオンがあんな場末のボクサーを指名しないでしょ。たとえば、何か因縁なり理由があって「ロッキーか……。あれなら面白くなるかもしれん」とかって選んでればノレたんだけど。そこがずっと気になった。
あとロッキーのモチベーションは映像的には十分伝わってくるんだけど、脚本的にもっとほしかった。今の自分ではイヤだ、輝きたいんだ、ってな部分が弱い気がする。
またあれぐらいのトレーニングで互角に戦えるのか?という疑問も。たとえばロッキーが実はものすごい潜在的な能力を持っているのに、それを生かし切れてないという描写があればいいんだろうけど、その辺は北野武監督「キッズ・リターン」はうまかったなぁ。
その「輝きたいんだ」って部分だけど、実はこの映画はアメリカンドリームものではないと思う。つまり「成り上がり」系ではないということ。実際、インタビューでもスタローンが話しているように、このあとのロッキー・バルボアという男は決してアメリカのヒーローになったわけではないはず。いうなれば甲子園初出場で一回戦負けした選手たちの物語のような、まさに「一瞬の夏」の映画なのだ。
だからラストの、やたらモノマネされるシーン(笑、最近の若い子は絶対元ネタを知らないだろう)の、
「エイドリアーン!」
って部分は、訳すなら
「エイドリアーン!(見た見た?今、オレ輝いてたよね?)」
「ロォッキー!(えぇ、輝いてたわ)」
「エイドリアーン!(今、オレ輝いてたよね?)」
「ロォッキー!(えぇ、輝いてたわ、ロッキー)」
「エイドリアーン!(うぉおお愛してるぜぇ!!)」
って感じになるのだろう(ホントか?)。

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