2008年2月2日土曜日

私的中華電影想出話

先日、NHK-BS2放送『香港映画のすべて(2)「カンフー映画のヒーローたち」』という番組を観てたら中国映画についていろいろと思い出してしまった。

そもそも僕はアジア圏の映画についてそんなにくわしくはない。けど、まったく観てなかったというわけでもない、という微妙な距離感が、今回いろいろと整理したり思い出したりして面白がれた原因だろう。

だから、これから書くことはあくまですごい個人的なことだし、資料性もないんでそこのところはよろしくお願いします。

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さてまず僕にとって「中国映画」は、やっぱりジャッキー・チェンの一連のカンフーものが最初だった。といっても劇場で観たことは一度もなくてよく土曜の昼に学校から帰るとテレビで放送していたのだ。だから僕にとってジャッキーはやっぱり石丸博也の吹き替えがしっくりくる。

同じ頃、ジャッキーの弟分としてユンピョウも人気があって、でもやっぱりジャッキーは越えられないし主役も張れないなぁというは子供心にも感じた。

デブゴンはテレビでやってたら見てもいいかな、ぐらいでジャッキー映画に比べるとお宝度は低かった。ちなみに僕はデブゴンとMr.BOOを混同してたなぁ。Mr.BOOシリーズは全然知らないんだけども。

それをいうと実はブルース・リーもパロディで知った、という世代。逆に大学生になって初めて彼の映画を観た時、その元ネタっぷりが逆に笑えた(失礼ですが)。

さてさて、ジャッキー以外だとやっぱり少林寺シリーズのリー・リンチェイ、今でいうジェット・リーもスターで、よく子供はジャッキーよりもリー・リンチェイの方が強い、とか脳内で勝手に戦わせたりしたもんでした。
ちなみに「少林寺三十六房」ってずっと少林寺シリーズだと思ってたけど、関係ないのね。同作の監督は、ジャッキー以前にカンフー映画の中にコミカルな要素をとり入れるということをやったラウ・カーリョン。彼は「酔拳2」でジャッキー映画の監督をするんだけど、演出が古いから途中で降ろされた、とwikipediaに書いてあったよ。
あ、でもリー・リンチェイの「阿羅漢」はラウ・カーリョン監督なのか。でもこの頃(1986)は「いまさら少林寺映画かよ!」と予告編を観た時に思ったなぁ。

このあと、ジャッキー・チェンは「プロジェクトA(1983)」「スパルタンX(1984)」「ポリス・ストーリー/香港国際警察(1985)」でピークを迎えるんだけど、その後、低迷するのだった。
「プロジェクトA2 史上最大の標的(1987)」はいいとしても、「サンダーアーム 龍兄虎弟(1986) 」「サイクロンZ(1988)」「九龍の眼/クーロンズアイ(1988)」 あたりは確実につまんなくなっていって(というかワンパターンだから飽きてきたというのが正しいのか)、極めつけは「奇蹟/ミラクル(1989)」。なんだこりゃ、って感じだった。なぜかこの映画、マイケル・ジャクソンの「ムーン・ウォーカー」を思い出すのは、公開時期と両主人公のファッションが似てたから??
ちなみに、「九龍の眼/クーロンズアイ」ってポリスストーリーの続編、「ファイナル・プロジェクト(1996)」はポリス・ストーリーシリーズの4作目、「プロジェクト・イーグル(1991)」は「サンダーアーム/龍兄虎弟」の続編なんすね。知らなかった。

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そんなジャッキーの低迷期、90年代に入った頃の香港映画で熱かったのはツイ・ハークもの。今みたいにCGでいろんなアクションが撮れる前のこの時代、彼のワイヤーアクションは燃えた!「妖獣都市/香港魔界編(1992脚本・製作)」なんて劇場へ観に行ったもんなぁ。面白かったよ。
この頃、日本では雨宮慶太が「ゼイラム( 1991)」を撮ったりしていて、個人的にはこの手のSF・伝奇アクションものが面白かったのだ。だから今ではあんまり興味ないけど、当時はオリジナルビデオ作品も含めて意外にいろいろと観てたりしてた。そういう流れの中でツイ・ハークも観てたなぁ。
面白いことに、この頃ジャッキー・チェンがツイ・ハークを監督にして映画を撮ってる(「ツイン・ドラゴン(1992)」)。

一方、1988年には香港映画ではないけど中国が絡んだ「ラスト・エンペラー」のヒットがあって、その後も「愛人/ラマン」(1992)、「さらば、わが愛/覇王別姫」(1994)とわりと大作感があったり文芸臭のする作品も受け入れ始められていたと思う。あ、あとホウ・シャオシェン(侯孝賢)とか。爆睡したけど。観なかったけどチャン・イーモウの「秋菊の物語(1992)」も少し話題になってたっけ。
ちなみにそんなこともあって、ツイ・ハーク監督/リー・リンチェイ主演の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明(1991)」は大作歴史映画かと思ってずっと敬遠してたのだった。もったいない。

僕はこの頃大学生だったんだけど、家や学校の近くに名画座がいくつかあって、そこの二本立て上映で観ることが多かった。レンタルビデオが400~500円ぐらいだから、二本立てで学割やぴあ割引にて1000円ならトクじゃんと思ってのだ。そもそも今考えるとビデオの画質も劇場のそれと比べるとかなり違うし、自室のテレビは14インチだったし、そう思うわなぁ。
しかし、この頃から映画館でよく寝だすんだよなぁ。向学のつもりで、少しでも興味があったら何でも観てたせいもある。若さゆえのあやまちは認めざるを得ない……。

閑話休題。

自分の中でも香港アクションや特撮系もなんとなく下火になってきた頃に現れたのが、ウォン・カーウァイの映画、というか「恋する惑星(1994)」。この頃はですね、いわゆる渋谷系的なものがじわじわと世の中に広がっていった時期なんですよ。それがこの映画を世に受け入れさせる土壌になってたと思う。

ウォン・カーウァイなんて今の大学生なんかはほとんど興味ないんだろうけど、今でいうと、よく言えば一貫した作風・悪くいえばワンパターン、詩情あふれる映像、インディペンデントへの判官贔屓も含めて、新海誠っぽい扱われ方をしてた気がする。いや、ホント個人的な感想だけども。

この記事を書くまで完全に忘れていたけど、ポスト・ウォン・カーウァイもけっこういて、エリック・コットの「初恋(1998) 」(金城武、カレン・モク主演)とか、ジャン・ラムの「天空小説(1996)」とか。どちらもカメラはクリストファー・ドイル。
後者はキネカ大森に観に行ったなぁ。今でもチラシ持ってるよ。けっこう好きだったけども、その後全然名前を見ないなぁ。香港では活躍してるんでしょうか。

ウォン・カーウァイはタランティーノがプッシュしたこともあって話題になったけど、彼の影響でジョン・ウーと「男たちの挽歌(1998)」がマニア以外にも注目されるようになったと思う。「フェイス/オフ Face/Off (1997)」公開時もまた見直されたりしてたはず。

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さて、90年代のジャッキー・チェンは「シティーハンター(1993)」が彼の日本株の底値だったと思う。なんて安くなったんだろう、と思ったもんなぁ。でも「酔拳2(1994)」はやや盛り返した印象も。
驚くのはこの後で、まさか「ラッシュアワー(1998)」以後、ハリウッドで成功するなんて全く想像がつかなかった。逆にうれしかったけど。
そしてもう一つの驚きが、リー・リンチェイが「ジェット・リー」と名前を変えて「リーサル・ウェポン4(1998)」「ロミオ・マスト・ダイ(2000)」「キス・オブ・ザ・ドラゴン(2001)」とこれまたハリウッドで成功したこと。「HERO(2002)」なんて凱旋感があったもんなぁ。

とはいっても2000年は中国や香港の映画よりも「シュリ(2000)」とか韓国映画におされ気味な印象もあるなぁ。「猟奇的な彼女」とかポップな作風の映画も入ってくるし、なにせ韓流ブームもあったし。

と以上、だらだらと思い出とともに書きつけてみました。
この話、つづく

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