プラモデル工作を再開して、初めてスミ入れやウェザリング(汚し塗装)をした時は感動した。
普通に塗装をしただけだと、きれいではあるけどもなんとなくノッペリしている。
模型は縮尺されているので影になる部分を強調することで、グッと立体感が増す。普段自分たちが見ている機械は大半が汚れているからウェザリングを施すことで非常にリアリティが出る。
これぞ模型の醍醐味、という感じだった。
子供の頃は、せっかく作った模型を汚してしまうのに非常に抵抗があった。
きっと、模型を玩具の延長で考えていたからだろう。
この汚しとかスミ入れは、模型と玩具の違いを考える際の手がかりになると思う。
模型と玩具は同じミニチュアではあるんだけども、明らかに違う。
それは模型は自分で作るが玩具は完成品、ということではない。今では模型も完成品が売られている時代である。
ときどきカテゴリ的には玩具に入るような商品の中に、「ダメージバージョン」などとわざわざウェザリングを施したものがあるが、ちょっとなぁという気持ちになる。
やはり玩具はピカピカできれいに塗装されているのがうれしい。
この感覚は、模型では自ら汚しを入れるのになんでだろう、と不思議であった。
いろいろ考えてみるに、
・写実的に、主に目を通してリアリティを求めるのが模型
・感触的に、主に手を通してリアリティを求めるのが玩具
なのではないか。
たとえば車の模型はボディの光沢を再現することを重視するが、ドアの開閉を再現することはあまりない。
ミニカーのトミカシリーズはサイドミラーすら省略するけど、ドアの開閉ギミックなどは必ずつける。
「車らしさ」は見た目でいうとその光沢だったりするけど、手の記憶でいうとドアを開け閉めする部分だったりするのだろうか。
鉄道模型は情景部分はまさに模型なんだけど、車両は汚さずにピカピカであることが多いような気がする。
これに関しては、鉄道模型はその舞台には模型的にリアリティが求められているけど、自分が操作する車両に関しては玩具的なリアリティが求められているんだと思う。だから連結器のギミックとかにはこだわるのではないだろうか。
このことは、とても興味深いと思う。
模型・玩具それぞれのよさをお互いがうまく取り入れて、またそのことを意識して楽しめれば、鉄道模型のように幸せになれるんじゃないだろうか。
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