2007年7月12日木曜日

押井守の娘は乙一夫人だとか。

もう何年も前からずっと折にふれ考えていることに、「RMT」がある。

RMT=Real Money Trade、簡単に言うと実際のお金でMMORPG内などのバーチャルなデータを売買する行為のことだけど、それがゲーム内容にいろいろ悪影響を与えて深刻……ってことを書きたいのではなくて、

「いつか自分もなんの違和感もなく、バーチャルなデータを買う日が来るんだろうか?」

という自問なのである。
だからRMTに限らず、そういう行為がオフィシャルなシステムに組み込まれた「アイテム課金制」のゲームなどに関しても同じ自問をしてみる。

だけど、今の僕の感覚からいうと、「買わないなぁ」。
だから、アイテム課金制のゲームも「やらないなぁ」。

……終了。

とずっと思っていたんだけど、一年前にPCを買ってわりとすぐにAppleのiTunesStoreにて曲をデータとして購入するに至って、それとゲーム内のデータを買うことにいったいどれだけの差があるのか?とこれまた自問自答してしまった。

差があるとするとかろうじて、「ゲームタイトル内でだけ有効」「ある特定のオーディオプレイヤーで使用可能」てな、データの使用可能範囲の差でしかないような気もする。

もちろんその差は大きいんだけども、もしもゲーム内世界がその人の実生活においてかなりのウェイトを占めているならば?
端的な例を言うと、たとえば休日はほとんど外出せずにネットゲームを楽しんでます、という人にとっては、明らかに

ゲーム内の服装 > 休日の外出着

という価値観になる。
それを考えると、結局のところリアルなオブジェクトと同程度、人によってはそれを超える価値がすでに「バーチャルな情報」そのものに宿っている、ということなんだろうなぁ。

CDに入っているのが曲のデータである、という認識が決定的になった今、かつてレコードやCDが持っていた「アウラ」ってのは明らかに薄くなっているよなぁ。
フィギュアを買うのが流行っているのは、CADの発達・技術の蓄積によるクオリティアップや海洋堂が起こした流通革命以外に、この「本、ビデオ、CDってのはつまるとこデータでしかない」ということをみんなが薄々感じ始めているからなんでは、と思ったりもする。

これ以上考え出すと、換気扇がカラカラ回り出す(←この表現は僕と友人の間での「リアルとはなんぞや?」と悩む時のイメージ。もちろん押井守の映画が元です)ので、今回はこの辺で止めておこう。

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あ、ちょっと関係ないけど、PCで「モンスターハンターフロンティア」をやってみてます。パッドのキーコンフィグで苦労したけど、なかなか楽しい。課金まで行くかどうかはまだ分からないけど、可能性はあるなぁ。

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