2005年10月2日日曜日

オマンジュをパクリといただく

この事件この事件もそうだけど、有名人やその類の人が何か起こすとみんな厳しいよなぁ。


もちろん有名税じゃないけど、厳しいのはかまわない。
でも、その罪とは別の部分までも叩きまくる傾向はどうなんだろ?
たとえば、僕は「サイコ・ル・シェイム」って聴いたことないし、それは聴くまでもない内容だろうとどこかで思っているからなんだけど、だからといってこの人が逮捕されたことと彼らの音楽の評価は無関係だと思っている。
大体そんなこと言ってたら「世界に一つだけの花」はヒットさせちゃだめじゃんか。
ちなみに僕は「こどものためのドラッグ大全」を読んで以来、こういう有名人がドラッグで逮捕されたという話を聞くと、まずそんなに追いつめられたのはどうしてなのか?と考えるようになってしまった。
また後者の「落書き」ことグラフィティも、もちろん結局関係者の壁じゃねぇかよ!とか、とてもヒップホップの精神がどうのこうのと言ってほしくはない内容だけど、でもそのことと落書きの出来はやっぱり関係ないと思う。もしかすると、めちゃくちゃかっこいいものだったかもしれない(僕はヒップホップ文化には全く共感できないけど、ロゴやフォント好きなのでグラフィティはけっこうかっこいいと思ってしまうのだ)。
というのも、僕は山手線で通勤しているんだけど、恵比寿〜渋谷あたりに書かれたグラフィティらしき落書きはホントに汚いのだ。壁に落書きする人は、壁の持ち主が思わず唸ってしまうようなものを描いてやる!って気概は少なくとも持っていてほしい。
これらとは少し話が違うんだけど、たとえば「オレンジレンジ」を叩く理由が、彼らの曲がパクリだから、という人が多いらしい。
もちろんパクリ自体はパクられたと思った人がどんどん訴えればいいと思うんだけど、そのことと彼らの音楽がダメなのはこれまた関係がないと思う。
じゃあたとえば、自分がとても感動した曲がある。それが何かのパクリだと分かったら、その感動はニセモノだったのだろうか?もしパクリと知らなければ一生感動ものの曲だったかもしれないのに?
パクリとは違うけど、ものまねがオリジナルを再評価させることだってある(コロッケ→美川憲一のように)。
そもそも著作権ってのは、盗作などによってその被害者が経済的に損失しないようにと考えられたシステムらしい(福井健策「著作権とは何か」集英社新書)。ゆえに法の存在自体は「オリジナル信仰」の根拠にはならないんじゃないか。いっつもそういうことは当事者同士以外は関係ないでしょ、と思うのだ。
なぜダメと思うかをちゃんと言えないとダメと言ってはダメだと思う。それを実はその本質とは無関係の理由で説明しようとするのは、まさに思考停止だと思う。
もちろん僕はドラッグや器物破損や盗作を支持してるわけじゃない、念のため。

1 件のコメント:

  1. 無名でいいよ2005年10月23日 4:56

    なんだろ?
    叩くって違うよ。
    誰の曲だろうがなんだろうがさ…
    その作曲者が一生懸命作ったのを使うっていう精神がわからない。
    音楽に大して思い入れがない人にはどうでもいいことかもしれないけど…
    音楽を作って生活にしてる人にとっては許しがたいことだろう。
    音楽でただ騒ぎたいのなら別にそれで構わないけど…
    何かを伝えようとしたり、一生懸命作った音楽を簡単に使うのは著作権とか以前の問題じゃないか?
    失礼に価すると思う。
    まぁ、どんなに言っても理解できない人間はいるのだから何言ってもいっしょなんだけどさ。

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