
内容的には正直ストーリーはあんまり面白くないし(最後なんて唐突に終わるし)、人物の書き分けも絵的にも内面的にもほとんどできてないんだけど、メカが魅力的でそれだけで最後まで読むことができた。
そもそもなぜこれらの作品に興味を持ったかというと、作者の小沢さとるがあの「ロボダッチ」のデザイナーだった、という事実を「BSマンガ夜話(2002年2月26日[火]放送「青の6号」)」で知ったからだった。
ちょうど今読んでいる「戦後SFマンガ史」の中で、「サブマリン707」も含む戦記メカマンガの系譜も扱っていて、いろいろと考えることもあった。
戦後SFマンガ史 (ちくま文庫 よ 19-2)
米沢 嘉博

まだ途中までしか読んでないし、1980年に刊行された本の文庫化だから今更なんだけど、名著。
ちなみに小沢さとるに関してはこう書かれている。
小沢さとるはこの時点で最も正統的少年SFマンガの描き手だったといえよう。マンガ的線とデフォルメを持つそのメカニックは、図解や特集の現代兵器の野暮ったさはなく、硬質でシャープで実にマンガ的にカッコ良かった。しかも、それは記号的ではなく、実物を元にマンガ的デフォルメをほどこされたリアルさを持っていた。
��中略)
��松本零士は:引用者注)そのメカの魅力において小沢さとるとは違ったムードを持っていた。それは一言でいうなら重量感であり、メカニカルな輝きであった。小沢さとるのメカがプラモ的できっちりと描かれていても、均質な線(トレースの如き)と白っぽさは立体感と質感に欠けていた。松本メカのデフォルメは、小沢よりマンガ的であり実物をゆがめていたが、線の強弱やベタの使用によって独特の質感と重量感をかもしだしていた。(「第四章 SF捲種計画」)
確かに自分の世代でメカを魅力的に描けた漫画家といえば松本零士だけど、小沢さとるのメカは米沢氏が指摘しているように、リアルな質感こそないかもしれないけどプラモデル的な立体造形を感じ取ることができて読んでいて楽しい。
小沢さとると松本零士は年齢はさほど違いがないようだし、この2人を比較するのはとても面白い。
世間的な評価はかなり違う気がする。もちろん、松本零士は独特の叙情やキャラクターの魅力といった点において技量的に大きく差をつけてはいる。
ただ面白いのは2人がそれぞれSFアニメとプラモデルの世界でそれぞれブレイクしている点だ。
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ここで少し話を変えるけど、この「戦後SFマンガ史」を読んでいると、メカ描写をその魅力の中心に据えた戦記SFの系譜というのは、それこそ明治期の児童文学「押川春浪/海島冒険奇譚 海底軍艦」までさかのぼれて、その後「まんが道」にも出てきた昭和期の海野十三から、小松崎茂の絵物語や手塚治虫・横山光輝らのSFマンガにつながるのだった。
少し前にNHK「わたしが子どもだったころ 富野由悠季」(2008年6月11日[水]放送)という番組を観た時に一番面白かったのが、富野監督が意外とメカ好きだったということだ。番組では子供の頃描いていたSFメカのペン画(小松崎茂みたいなの)を見せてくれたりしていた。
僕は今まで、富野監督というのはガンダムなどのロボット自体は好きじゃないのかと思っていたけど、実はそんなことは決してないようだった。
そしてもう一つ面白いのが、富野監督が手塚治虫のアニメーションスタジアム「虫プロ」出身ということである。
ちょっと強引ではあるけど、先に書いた戦記メカものの系譜がこの時、手塚治虫らの世代から富野監督らの世代へと、そして小説→絵物語→マンガと来て、アニメーションへと移行した、と捉えられるんではないか。
そして「ガンダム」がその戦記メカものの決定打となったわけだけども、そういうもの自体はそれこそ明治期ぐらいからずっと存在していたことにも驚く。
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さて、ではなぜ「ガンダム」が戦記メカものの決定打となれたのか。
これはおそらく、1人の作家の手を離れて「バンダイ」という会社の商品に、結果的になったからだと思う。
だから先ほどの小説→絵物語→マンガ→アニメーションの先に、プラモデルを中心とした模型文化に、その作品展開先が変わってきた、ということなのだ。
作品の主導権は制作会社サンライズの親会社でもある「バンダイ」にあるわけだから、「ガンダム」が常に商品として供給されることができる。これが一作家の作品だと難しいだろう。
「ガンダム」以外にもまさに戦記SFである横山宏らの「マシーネン・クリーガー」なんかはそれこそ模型の世界で展開しているわけだからより分かりやすい。
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そして話を元に戻すと、戦記メカもので名をはせた小沢さとるがその後プラモデルオリジナルの「ロボダッチ」で復活(?)して、しかもそこでガンダムなどのパロディものすら出していた、というのは本当に面白い流れだなぁ、と思う。
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