だけど、それに反して「道具然」としたものにも魅力を感じることにも気づいた。
たとえば何度か紹介しているこれ。
トミカ ホンダバモス(HDC=HONDA DIRECT MARKETING CORP.の別注モデル)ホワイトの車体色に惹かれてオークションで手に入れてしまった。通常品と違い「鼻」のタイヤやランプがちゃんと着色されてたり、リミテッドと違いヘッドライトに変な白い色がつけられておらず、僕の中ではベストモデル。

こちらは「伊香保おもちゃと人形自動車博物館」に展示されている、ホワイトのバモス。ミニカーでは分かりにくかったけど、剥き出しな感じがやっぱりいい。
実際はどうか分からないんだけど、多少手荒く扱っても大丈夫そうなタフさ、ってのがいいんだと思う。最近、革製品に憧れるのも同じベクトルだと思う。
バモスは最近発売されたこちらの本で取り上げられていて、こんなことが書かれていた。

「熊倉重春/昭和くるまノート―Nostalgic Memories」P80
「世界最大のおもちゃ屋が誇るこだわりの遊び道具」。
シビれるコピーだ。
このバモス、この当時(1970-1973)では珍しくレジャー用途なども想定されて作られたらしいんだけど、それにしては4WDでなかったり小径タイヤを履いていたりと、実用性という点では疑問符がつくとか。
熊倉氏も
もちろんホンダ自身も道具としての性格付けを前面に出していた。「警備用、建設現場用、工場内運搬用、電気工事用、農山林管理用、牧場用などにピッタリ」と、当時の広報資料でも謳っている。それはそうだが、本当に広く現場で歓迎されて、狙い通りに愛用されたかというと、そうでもない。販売の数としてもそんなにヒットしたわけでもなく、遊びの道具として一部のファンに喜ばれた(おもしろがられた)というのが実像だった。「これ、なんだかヘンだけど、愉快な感じじゃん」のノリだった。
と書いている。つまり、その「道具然」としたスタイルは、実はファッション的であったとすら言えるのではないか?
いや、だからといってこの車をおとしめたいのではなくて、むしろそういう姿勢がとても面白いと思うのだ。
実際に機能美にあふれた道具を作ることで「道具然」とした雰囲気を出すのではなく、はなから「道具然」とした雰囲気を重視したものを作るという、一種の諧謔趣味をそこに感じる。
たとえばバモスが自衛隊なんかに採用される可能性などは全くなくて、だからこそ「遊び道具」でいられるのだと思う。
でも同じ文章の中で
やがて'73年、厳しい排気規制が始まると同時に第一次石油危機にも見舞われた自動車界は、ものすごく真面目一本槍の数年間に突入することになる。それは、誰もがそれぞれの思いつきを声高に叫ぶことのできた自動車ロマンテック・エイジの幕引きでもあった。
と熊倉氏が書いているように、皮肉にも僕が生まれた'73年を境に、僕にとってはあまり魅力的ではない車が増えていってしまうのだった。残念。
��
そういや、そんなバモスのようなテイストを感じるバイクがあったなぁと思って検索してみると、

でもない、

なんか違う、

これだ!
それにしても全部HONDA製というのが面白い。
あと、最近PanasonicとBEAMSがコラボwして出した電動自転車もそんな雰囲気があると思った。

だってリンク先にこんなことが書いてあるんだもん。
※モトクロスというのはイメージです。この自転車は一般用自転車として設計されています。
荒地での走行、段差下り、ジャンプなどの走行はしないで下さい。
ドミノピザの宅配バイクがzoomerだった。ドミノピザはロゴがかわいいので、チラシのマークを切り取ってマグネット化して冷蔵庫に貼ってある。
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