2007年11月13日火曜日

野グソをピンクに塗るセンス

前回書いたように、「Dr.スランプ」グッズが「りぼん」のふろくについていた時期があった、という事実はとても興味深い。

そうそう、当時「Dr.スランプ」というのは、キャラグッズであり、また同時にファンシーグッズでもあったのだ。ファンシーグッズというのは今でいうサンリオとかスヌーピーとかを思い浮かべていただけるといいと思う
「ドラゴンボール」ではあまりなかったかもしれないけど、「Dr.スランプ」は文房具とかワッペン、シールといったグッズが大量に発売されていた。むしろおもちゃは少なかったぐらいの印象だ。そしてそれはもしかすると「Dr.スランプ」の漫画を読んでいない人でも手にしていたのではないかと思う。その点、スヌーピーと似ている気もする。

「Dr.スランプ」という作品は

その当時のファッション
 ほらタロウやアカネが不良っぽいのは当時のファッションなんですよ。少年漫画で記号的にではなくその質感・素材感なども含めて服やカバンなどを描いたというのは当時としては画期的だったという。
 あと後半でアラレちゃん&ガッちゃんが何の理由もなくやたらとコスプレしているのにも注目。

作者が好きなSF、特撮のキャラクター
 ゴジラ、ガメラ、スターウォーズ

作者が好きな車をはじめとした、メカ類
 もう書かなくていいですよね

ミリタリー的意匠
 後半に多い。劇中よりも表紙絵などによく見られる。

といったポップで時にキッチュなアイコンが、牧歌的な田舎の風景をベースに描かれるという、今考えるとけっこう奇妙な作品であった。

これらだけを考えるととてもファンシーグッズにはなりえないと思うんだけど、そこはやっぱり鳥山明の持つバツグンのバランス感覚がそれを成立させていたんだと思う。

そのバランス感覚というのは、たとえば引用やパロディをどこまでなら一般の人にも受け入れられるかだとか、車の選び方にしても知らない人にも絵として成立する形の面白いものを選んでいたりだとか、ギャグにしてもここまでなら大丈夫といった「ウケる/受け入れられるボーダーライン」のかなりギリギリまで責めてる、ということだ。
その「責め」の姿勢は、もしかしたら意図的ではなく無意識的なものなのかもしれないけど、それこそが鳥山明の天才性なんだと思う。

「Dr.スランプ」がついつい読まされる作品なのは、その作者のバランス感覚から生まれる独特の世界観にあるのではないか、というのがとりあえず今回の結論。

あと、最後に、アニメ「Dr.スランプ アラレちゃん」の最初のオープニングテーマは水森亜土が歌っていた、という点を指摘することで、今回の輪を閉じられるのかもしれない。

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