2007年11月12日月曜日

いまなぜ陸奥A子なのか

��前回のあらすじ)
「Dr.スランプ」を読んでいたら、なぜか前からいつか読もうと思っていた陸奥A子が本気で気になりはじめ、名作選の文庫本を買ってしまった。

そもそも少女マンガとはほとんど縁のない僕が陸奥A子なんて名前を知っているのかというと、この作家の名はブックガイドとかリコメンドブックといった企画において、マンガ以外の本に混じってよく出てくるからなのだ。

直接的には、ファンであるイラストレータ杉浦さやかがこちらの本にて強烈にリコメンドしていたのがきっかけ。

えほんとさんぽ―さがしに行こう!絵本・雑貨・カフェ
杉浦 さやか
4592732332


どのお話も大好きだけど、やっぱり中学、高校時代にタイムリーに読んでいたものが思い入れも一番強い。


夢見がちで思いこみの激しい乙女たち。誰しもこんな部分を持っていましたネ(今も?)。
お洋服、小物、小意気、すべてが憧れでした。


漫画から“作りたいものリスト”を描き出したりしたっけ(描いただけ……)。


などと3ページにわたって自筆イラストとテキストで陸奥A子へのリスペクトを表明している。

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さて、そもそも陸奥A子とは何者なのか?
現在でも現役作家であるけど、70年代後半~80年代においては雑誌「りぼん」の「乙女ちっく派」少女漫画家の中心作家であったという。「乙女ちっく派」とは、陸奥A子の他に田渕由美子、太刀掛秀子といった作家がいるそうな。
なるほど、と思って先述の名作選を読んでみる。
「こんぺい荘のフランソワ」「黒茶色(セピア)ろまんす」「ため息の行方」「人参夫人とパセリ氏」「ステキなことばかり」「黄咲町ラプソディ」。
……う~ん、なんか主人公たちが好きになる男の子がみんなメガネくんなのが印象的。杉浦さやかが書いているように、ファッション、インテリアといったものは丁寧に描かれていて気持ちよい。
が、正直トータル的には面白いともつまんないとも思わなかった。少なくとももう1冊読んでみようとは思わなかったのは確かである。
本音を言うとこの作品群を読む限り、それほど当時の少女たちに影響を与えたとは思えないのだけれども……と思い、ここで副読本を読むことにする。
『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代―たそがれ時にみつけたもの
大塚 英志
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僕が高校3年生の頃(1991年)に単行本が出たこの本だけど、当時「システムと儀式」を読んで大塚英志はチェックしていたのにテーマがテーマだけに軽やかにスルーしていて、その後も読む機会がないままだった。
ちなみにこの単行本時のタイトル「たそがれ時にみつけたもの」(太田出版)は、陸奥A子の「たそがれ時にみつけたの」をもじったものであることを今回初めて知った。
本書では、「乙女ちっく派」が24年組を中心とした文学的な少女漫画の流れに対する保守反動と捉えられたりもするがはたして本当にそうなのか?という漫画論的な視点でも1章をさいて検討されていて、それはそれで面白いのだけど、実はメインはそこではない。
ある一時期、「りぼん」という雑誌が、そのふろくを軸に異常な売り上げを誇っていた時代があり、それは一体何だったのかを検証するのが本書の趣旨なのである。
簡単にまとめてみると
70年代初期は「りぼん」のふろくはスターもの(芸能人グッズ)が中心。

スターからアイドルの時代へ。そのぶん、ふろくとしての輝きもやや色褪せはじめる。

サンリオが水森亜土を起用してファンシーグッズを展開

1974頃「りぼん」も水森亜土のイラストをあしらったふろくをつけはじめる

「サーティワン」上陸。
1970ケンタッキー
1971マクドナルド、ミスタードーナツ
74年をピークとして、その前後3,4年の間に日本という国に「かわいい」ものが増えていく
つまり、「かわいい」もののニーズが高まっていく。

「りぼん」はふろくのための作家(イラストレーター)をスカウト、育成するようになる。

「りぼん」のふろくは紙でありながらも革のようにみえる印刷が施されていたりとディティールにこだわりはじめる。

使っていても壊れない耐久性や「~号付録」といったふろくに印刷しなければならない情報を隠したりそれを印刷したビニールに入れることで回避したりと行った「実用性」が強く求められるようになる。

文具→生活雑貨→家具(マガジンラックとか)と読者の願望をふろくでは支えきれなくなる。

こういうふろくをもとめる層は、意外にも中~高校生だった。低年齢の読者のニーズとは微妙に違っていて、その温度差があったという。
また、当時マンガマニアの大学生が「りぼん」を読むことが多かった、という。その理由は本書ではあまり触れられていない。

商品として、かわいいグッズが手にはいるようになる。
77年頃のアニメブームの影響で、キャラクターグッズが求められるようになり、乙女ちっく派漫画家の「特定の主人公」をあしらったふろくがつくようになる(つまり、雑貨ではなくキャラグッズ化したということ)。

それでも自家製の決定的なキャラクターが不在だった「りぼん」、81年10月号には同じ集英社のDr.スランプグッズがふろくに登場し、その後4ヶ月にわたって続く(!)
そんな中、ようやく82年6月号で「ときめきトゥナイト」が生まれる。以後、その主人公「蘭世」のキャラクターアイテムがふろくの主流に。
この頃、読者の低年齢化が始まり、ふたたびタレント関係のふろくが目立ちはじめる。
「りぼん」のふろく黄金時代の終焉。

乙女ちっくの後継者は、さくらももこと指摘。
というのが僕が理解した大まかな流れ。
マクドナルドがハイカラなものだった、とかって当時を知らない人には分からないだろうなぁ。名前は知っていても店舗を見たことなかったもんなぁ。
「りぼんのふろく」に話を戻すと、注目すべきはこれらのグッズが「キャラクターグッズ」ではなかったことである。つまり、その後ろに物語が存在しなかった。
たとえば、グッズ専門のイラストレーターすらいたのである。「りぼん」はそういったふろく専門の漫画家を独自に育てようとしたところが、他の雑誌と違っていて、たとえば「なかよし」のふろくはキャンディキャンディのグッズだったりするけれど、同じようでいて厳密には意味が違う。
そんな中、陸奥A子ら「乙女ちっく派」の作家たちは、元々はこのふろくのための作家だったようで、またその中でも陸奥A子のイラストをあしらったグッズの人気は高かったようだ。彼女が描くイラストは、ちょうど当時憧れであったらしいアイビー的なファッションがフィーチャーされていたことも大きいという。
だから当時の陸奥A子らを追体験するには漫画本だけでなく、彼女たちが手がけたふろくをその時代背景においてみないと見えてこないのではないか、と思う。
最近こんな本も出ていて、
少女雑誌ふろくコレクション (らんぷの本)
中村 圭子 外舘 惠子
4309727611

さらに東大近くの弥生美術館では「『少年倶楽部』から『りぼん』まで ふろくのミリョク☆展」が開催されている。
でも面白いことに先の杉浦さやかは、陸奥A子のふろくについては全く言及しておらず、取り上げている作品も80年代の漫画家として円熟期に入ったと思われる作品ばかりだった。年齢的にも「ふろく世代」ではないからだろうけど、陸奥A子のふろく作家的資質に敏感に反応しているのはさすがその方面の目利きである。
と、りぼんと陸奥A子に関してはこれぐらいにして、ではなぜ「Dr.スランプ」とこれらがつながるのか、というポイントに関してはつづきます。

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