2011年4月3日日曜日

寄付に慣れてない

自分でもケチというか財布の紐が固いほうだと思うので、普段から積極的に寄付とかをするタイプではない。

でも今回の震災を見ていると、社会人になって長いんだし、さすがになんらかの支援をするべきなんだろうなぁ、と思う。

なんだけども、たとえば数万円を募金箱にポン!と入れるのは躊躇してしまう。

なんでだろう、と考えてみたんだけども、まぁありがちだけどもそのお金がどう使われるのかがよく分からない。
中抜きされてないだろうな?というのもあるし、ちゃんと使われた場合でも他の多くの寄付金に吸収されて自分の「数万円」がどう使われたかは誰にも分からない。税金と一緒だ。
これが「~に使いました」というフィードバックが返ってくるのならいいんだけどなぁ。

自分にとって余分だけど必要とされているものを提供する、というのは大いにありだ。
少し前に献血をしたけど、あんなことで助かる人がいるなら機会があれば続けたいと思う。
でも、日頃から無駄なものを整理しがちな自分にはあまり余分なものはないし、震災の支援に関していえば送って嫌がられるものだと逆効果で、「~募集」と言われて余分にあれば出す、というスタンスになる。

寄付をする自分にもなんらかのメリットがあればいいのかもしれない。

むろん、「寄付というのは見返りを求めるべきでない」というのもあるんだけど、そういう建前はおいといて、まずは困っている人にお金etc.が届く、ということをゴールにして考えてみる。

そこで、はたとチャリティー」ってそういうものなのか、と思った。
これまで「チャリティー」ってその独特な雰囲気もあって(というかそのほとんどは大嫌いなあの「24時間テレビ」のイメージだと思う)なんか胡散臭いなぁと思ってたけども、たとえばチャリティー・オークションで「困っている人の役に立つ」というのであれば普段出さない金額を出してもかまわない、と思う。

とはいえ、たとえばチャリティーを目的としたCDってなんかしょうもないんだよなぁ。欲しくないというか。だったら、たとえばiTunesやAmazonでの対象商品の買物がどれも10%UPになって、その分がチャリティになる、とかいうなら好きな曲をバンバン買うんだけど、そういうのって難しいのかなぁ。ネットショップだと実店舗より現実的だと思うけども。

というわけで、今のところチャリティー・オークションをいろいろと覗いてる最中。

個人的にはよく遊びに行ってる益子が被害を受けたので

あの浜田庄司作品も破損…益子焼被害総額7億超

何らかの寄付ができるといいと思ってるんだけども・・。

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